Monthly Archives: October 2012

「印鑑登録」の本当の意味

 ほとんどの方にとってはどうでもいいことなんでしょうが…
「印鑑」とは「はんこ本体」を意味する、というのは誤りです

「印鑑」は、ハンコ本体ではなく、印影を登録する図録の事です

 右のとおり、はんこ本体は「印章」が正しい言葉であり、「印鑑」は、印影を登録する(公式な)図録の事に成ります。(「印鑑」の「鑑」は、「図鑑」の「鑑」であることを考えると、しっくりくると思います)

 まあ私個人は、一般の方が誤って「印鑑」という言葉を使われるのは一向に構わないのですが、プロである業界人が「印鑑あります!!」って誤って言葉を使うのはどうかと思っています…

 ところで、なぜ「印鑑」という言葉を一般の方が誤って使うようになったのか?
それは…

 間違いなく役所にある「印鑑登録」と言う言葉が原因ですね。
これを、「印鑑登録する事」と思い込むから、「印鑑=はんこ本体」と思う人が多いんです。

でも実は、「印鑑登録」というのは、

印鑑登録は、印鑑「を」登録する、ではなく、印鑑「に」(印影を)登録する、という意味です

 そう「印鑑(役所にある印影の一覧)(自分のはんこの印影を)登録するって言う意味なんです。

 繰り返し申し上げますが、「印鑑」という言葉遣いはどうされても結構です。ただ、こういった背景を知っていただくと、印章のプロとしてはうれしく思います。

はんこ職人が「機械」で彫ると、手彫りはんこと同じ出来になるんでっせ

機械を使っても使わんでも、はんこを作る「最初」と「最後」がしっかりしてたら、出来るモンはほぼ同じレベルなんやで!
 「はんこの『手彫り』は機械不使用って意味やない」って記事を見て、納得してない方はまだおられるとちゃいますか?
 まあ上の画像を見て下さい。左が完全手彫り。右が手彫りできる職人が機械を使ったときの彫刻ですわ。

 はんこを彫る手順って、文字デザインを決める「字入れ」、多少雑に彫る「粗彫り」、そして最後の「仕上げ」っていう工程に分かれるんです。
 で、機械彫りのほうを見てください。自分で書いた字をコンピューターに読み込ませて、それを機械彫刻してます。はんこのデザインは手書きやからオリジナルだし、最後の仕上げもちゃんとやってます。って事は、この機械彫刻は完全手彫りとほとんど変わらないんです
 事実、左右のはんこは両方とも僕がデザインしたんですが、あまり大きな違いは無いでしょ?

 え? まだ納得できない? ならもう一つ重大な事を言いましょか。完全手彫りの場合、真ん中の段階「粗彫り」を弟子(しかも入門したて)にやらせる場合があります。多少ミスしても仕上げでカバーできる「粗彫り」の工程は、他の工程に比べてさほど重要じゃないからです。

 そ、「粗彫り」を「弟子」にさせるか「機械」にさせるかの違いしかないので、職人にとってはそれを区別する意味が全く無いんですわ。

 っつー訳でご理解いただけましたか? はんこの「手彫り」と「機械彫り」が、実は大した差がない事もあるってことを。
 ちなみに当店はこのどちらでもなく、このような方法で彫刻しとります

 明日は視点を変えて、同じ機械彫りでも職人と素人ではどう違うかってのをお話します。

「素人が はんこを見分けるのは無理」って決め付けたらアカンで

「手彫りで判断で気品と困る!」って言いはりますけど、それって「自分ではんこの良し悪しが区別できへん」って決め付け鶴だけでっせ手彫りはんこ=機械不使用ではない」とか、「職人ははんこを見たらその出来が分かるから、手彫りかどうかは興味がない」ってのを見て、「ほな、どないせえっちゅーねん!」と思っていませんか?

 落ち着いてください。貴方がそう思ってるのは、「自分にははんこの良し悪しが見分けられない」って言う固定観念を持ってるからなんですよ!

 前回も言うた様に、はんこの職人は「手彫り」か「機械」かではなく、彫った結果生まれた「印影」の出来が良いか悪いかで全てを判断します
 ほな、素人でも「印影の良し悪し」を見分ける事が可能なんか?
 これは、発想をちょっと変えたら「可能」になるんです!

 例えば、今僕が一つのはんこを出して「このはんこの出来がエエか悪いか」なら、難しいと思います。
 何でかって言うと、はんこには見分けのつきやすいモノと、そうでないモノがあるからです。

 そやけど、それは「発想」を変えたら大した問題やありません。今見つけるべきなんは「ちゃんとしたはんこを彫れる店(職人)かどうか」って事。なら、そのはんこ屋(職人)の作品見本の中から、見分けのつきやすいものをみつけて判断すればいいんですわ。

 そんなわけで、今後、その方法を紹介していきますが、うちのショッピングサイトでは公開済みなんで、気の早い方はそっちをみてくださいな。

はんこの「手彫り」に基準が無い理由

「なんで業界で『手彫り』の基準を決めへんねや!」…とお怒りの気持ちは分かるんですが 理由があるんです はんこの「手彫り」は「機械不使用」ではないっていうのを知って、上のようにお怒りになってるかもしれない貴方へ。

 なんで「手彫り=機械不使用」って基準にしないのかといえば、はんこ職人のほとんどが彫刻機を使ってるからですわ。

 「そんなん業界の自分勝手な都合に過ぎひんやん!」ってお思いですよね? でもちょっと待ってくださいな。

 何で、ほとんどの職人が機械を使ってるんか? それは機械を使ったほうが効率がエエってのもあるんですが、一番大きい理由は「機械を使ってもモノは悪くならない」からです。先日「機械を全く使わない職人はホント少ない」って書きましたが、あれは機械を使うのが苦手な人ばかりで、機械を使うのが苦にならない職人は、腕が良くても機械を導入するのが普通なんですわ。

 それともう一つ。
職人は「良いはんこと悪いはんこ」の区別が簡単につけられます
職人に言わせれば、手彫りか機械かっていう「過程」よりも、彫った結果出来上がった「結果」の方が重要って事ですわ。

 そんなわけで、機械云々については業界で明確な基準がついてないんですが、「ほな、どないしたらエエねん!」ってなりますよね。
 すいません、明日の内容をご期待下さい!

「手彫りはんこ は手間暇かけてる」ってのは、ある意味「幻想」

手間暇? 言っときますけど一流の職人はメチャクチャ彫るの早いですよ しかも上手やし
 もし、「手彫りのはんこは手間暇かけてるからいい」と思ってるのなら、ちょっと待ってください。

 確かに、機械を使ったほうがいいはんこが効率よく出来ます。これは事実です。でも、手彫りが「手間暇かけてる」って言うのは、必ずしもそうは言えません

 だって皆さん「手間暇」って、何日とか、5時間以上とか、そんな感じに思ってますよね?

 言っときますけど、法人印ならともかく、個人の実印・銀行印なら大抵2時間もかけませんよ。1時間なら流石に満足良く出来は…って言うレベルなんです。熟練の職人は。

 っていうか、彫るのに慣れる事で、「綺麗に早く彫れる」から、一流の職人なんですわ。

 考えてみてください。発想を逆にして「彫るのが下手な人ほど完成に手間取る」って考えると、メチャクチャしっくり来るでしょ?

 大抵皆さん「良いはんこは手間暇かけて時間がかかるし、今すぐ必要な自分には無理」とか思ったりするみたいです。

 違います。短時間で良いはんこを作れるんが職人なんです
 (もちろん、注文が殺到してて行列ができる職人だったら別ですけどね…)

 この辺はうちのショッピングサイトにも同様のことを書いてるページがあるんで、是非見てくださいな。

「手彫りのはんこは複製できない」は、今や「ウソ」

手彫りはんこだろうが、機械彫刻のはんこだろうが、複製されるリスクはほとんど一緒!
 「手彫り=機械不使用」ではない、ってことで、憤慨している貴方

ほな、なんで「手彫り」がエエと思ってるんですか

 これは調べてないんでわかんないんですが、「やっぱりはんこは手彫り」って思ってる人の大半が、その理由を「機械で彫ったら同じ物がたくさん出来るから」「手彫りのほうが手間ひまかけてるから」と思ってるんやないかと想像してます。

 断言しましょか。そのどっちも間違ってます

 まず、今日は「機械で彫ったら同じ物がたくさん出来る」について反論しましょか。
 実は「手彫りなら同じ物が彫れない」が、残念ながら間違ってるんですわ。
 現在の彫刻機はデータどおりに正確に彫刻できるので、綺麗に捺印された印影さえあれば、それをスキャンする事でほとんど分からない程度に同じ物が彫刻できます

 それに、「機械彫りなら複製可能」というのも、その最新式彫刻機で「(はんこを彫る)データが残って」いて、「意図的に彫刻開始」しない限り、同じようなはんこは出来ません。

 大体、「機械を使った手彫りはんこ」が存在する以上、手彫りか否かで職人(はんこ屋)を見極めるんはナンセンスです。それなら、信頼できる職人を自分の目で見極める方がいいですね

 ちなみに、当店では彫刻機を使ってはんこを彫っていて、データも保存してますが、そのデータは厳重に保管してます。「田中」や「鈴木」なんかのはんこはしょっちゅう注文が入るんで、これまでと違ったデザインをするための確認用に使うことが多いですわ。

「はんこはやっぱり『手彫り』」って人はこれを見て驚愕しなはれ

「手彫りはんこ」って、「手彫りで彫ってる」とは言うてるけど「機械を使ってない」とは、言うてないんですよ!
 
 「手彫り」って、はんこ屋は言うてるけど、「機械を使ってない」なんて一言も言うてません
 全く機械を使わず、最初から最後まで いわゆる「手彫り」で彫られたはんこは、皆無と思ってください。

 実際は全くゼロではないんですが… はんこ職人が多い大阪ですら、「機械を一切使っていない」「そもそも機械を持っていない」と言う職人は僕の知ってる限りたった8人ぐらいしかいません

 そんな数少ない職人を血眼に探すんではなく、「手彫り」って言う肩書に関係なく、本当に実力ある職人を探してください。方法はこっちに書いてますからね!

 え? 「アンタが知ってる完全手彫りの職人を教えてえな」って?
 嫌ですよ。機械を使ってるうちの父を無条件で見下す人を減らすのがこのブログの一つの目的やからね!
っていうか、どうしても「手彫りがいい」ってんなら、僕が彫りますよ!

開運はんこの意外なメリット

縁起のいい「印相」ってはんこは、縁が欠けにくい場所が多いって言うメリットがありますねん
 はんこ屋である当店が、縁起がいい「印相」っていうのを、邪道と知りつつも薦めてるのは「縁起」とは別の理由が大きかったりします

 ひとつは上の画像にあるとおり、縁と文字が接する部分は欠けにくくなると言うこと。縁と文字が接する場所が多いとそれだけかけにくい部分が増えますんでね。
 これは実はかなりデカイと思ってます。そのうち書くと思いますが、職人が彫ったはんこは縁が欠けにくいんです。でも、それでもやっぱり落としたときの衝撃が悪かったら欠けてしまいますわ。

 ほやけど、縁が文字の線と繋がってたら、その部分は間違いなく頑丈で欠けにくい。ほしたらそのふちと線が繋がってる部分が多いほうが、欠けにくくなる。すなわち持つ人にとってええはんこって事ですわね。

 あとは、一般論として印相の文字の方がデザインに手作業となる部分が多いからってのもあります。先ほど言った「文字の線と縁が繋がってる」のは、デザイン上、手作業で行うか無いんです。例えコンピューターでデザインするとしても、全自動では出来ず、手作業で一つずつ繋げていかないとアカンのです。

 ということは、機械による自動化が多くを占める世の中にあって、ある程度手作業が入るこのやり方の方がいいかも知れんって事ですわ。

 まあでも本来は、手作業云々より、自分の「証」となる印影がどんだけしっかりデザインできてるか、やと思います。

 その辺についてはまたいずれ、お話したいと思います。
 明日以降は、すんませんが開運とはちょっと離れた話をしますんで。

はんこで「験担ぎ(げんかつぎ)」ってアリ? ナシ?

こいつ「開運はんこ」に否定的やな… とお思いかもしれませんが、「験担ぎ(げんかつぎ)」はやってます 散々、開運はんこを「やりすぎ」「邪道」と言うといて何ですが…
「験担ぎ」するのまで「ナシ」ってのはどうか…と思うてたりしてます。

 この辺は正直、葛藤もありますね。

 確かに「開運商法」がまかり通ってる中、そういうのは慎むのが理想かもしれません。
 ただ、さすがに「開運」より軽めの験担ぎまで許さないって言うのは、お客様の需要に背きすぎかという気がするんですよね。

 当店では例えば「大安吉日に納品して欲しい」などの「験担ぎ」はお受けしてます。
 開運で文字をあれこれ変えろって言う要望は、文字そのものの意味や姿をまるっきり変えてしまって逆効果になりかねないですが、納品日の指定は商品の出来に左右する事は無いんで、デメリットは無いし、これは要望にこたえたいと思っています。

 それと、縁起重視の「印相」には別のメリットもありんです。
 それについては次回書きますわ。

開運はんこで「鑑定してくれ」ってのは超失礼なんよ

開運の鑑定士の人に「はんこはこうやって作れ」って言われても… 正直「あんた誰?」って感じになるんです 良くお客さんに聞かれるるのが「開運の鑑定をしてくれますか?」っての。
 当店はこう聞かれると「当店ならではの手法で印影をおつくりしますんで、鑑定士への依頼は行いません」って答えてます。

 でも、当ブログを読んでいただいている人は「え?」って思うかもしれませんね。
 「前回、プロはお客さんの要望に応えるって言うたやん! それと矛盾するやろ!」って

 でも、矛盾しませんねん。
 だって、「鑑定しろ」っていうのはすなわち、自分でもお客さんでもない、第三者である鑑定士の言うことに従って彫れって事ですから。
 
 お客さん自身が細かく接点の数とかを指定する場合は、極力従いますよ。(もちろん、字がグチャグチャになってまうほどの要望はお断りしてますが)
 でも「鑑定しろ」って言うことは、自分で調べることもせず、なおかつ彫る職人にすべてを任せず、その癖「開運の保障」を求めてるわけです。

 レストランに行って、シェフに「料理評論家の○○が、△△の料理には□□の食材が良いって言ってたから、それで作って」って言いますか??
 はんこで「鑑定しろ」ってのは、それと全く同じで、失礼かつ場違いで恥ずかしい要求だと言う事を理解してくださいな。

 いかに失礼かつ自分勝手なことか、ってわかりますよね?
 そんなことがまかり通るのが、人生にとって逆効果とさえ思うんですわ。

「開運はんこ」を彫る人は二種類に分かれる

開運はんこを彫る職人 どっち?
これは単刀直入に書きましょう
高く売れるから彫る」と言う人と「プロとしてお客様の要望に応えるために彫る」と言う人です。
当店も基本的には後者の理由で、縁起の良いとされる「印相」って言うはんこを取り扱っております。

前回、「縁起のいい『印相』は邪道」やと書きましたが、邪道の癖に彫る職人が多いのは、良心的な職人が後者の発想を持っているためなんです。

ちなみに、「本当にお客様の幸せになって欲しいから彫る」と言う人は… 消費者としてはいて欲しいでしょうが、ほとんどいないでしょう。

ただ、「高く売るからには、本当にお客様の幸せにつながって欲しい」というはんこ屋は、いるかも知れませんね。

そんなわけで、開運の「印相」ってはんこは邪道やけど、その「印相を彫る人」まで邪道かって言うと、そんな訳ではないんで、その点気をつけてくださいね。

開運はんこの文字って、実は『邪道』なんよ

縁起がエエから「田」に線を足すって、普通の字ではやらんよね
 何で邪道なのか? それは「ルール」が存在せんへんからです。

 文字にはちゃんとした「ルール」があります。小学校で習った文字の書き方のようなもんです(これは実はもっと深い話があるのですが、それについては後日書きます)。
 はんこで良く使われる「篆書(てんしょ)」と言う文字には、はっきりとしたルールがあるんです。 しかし、縁起がよいとされる「印相」と言う自体は、「字と字をつなげる」「中心から外に広がるように」というのに従って、篆書のルールをぶち壊したもんなんです。

 例えば上の写真の「野田」のはんこ。「田」の上部の左右から、縁に向かって線が延びてますわね。「腕」と言うか「触角」みたいな感じで。
 こんな「田」と言う字はどの辞書にも載っていません。「その方が縁起がええから」と勝手に線をつけ足しとるんです。

 はんこにも展覧会やグランプリと言うのがありますが、その中では「印相」ってのは評価されません。何故なら上記の理由で「ルールがないから評価しようがない」ためなんですわ。

 昨今は、はんこは「開運」が主流で、「どうせなら開運の方がいい」と言う風潮がありますが、厳密には開運であることのデメリットもあると言うのは覚えといて欲しいと思います。

 しかしその印相、「邪道」であれば彫る人が少ないので広がらないはず…なのですが、実際は多くの職人が彫刻しています。
 この理由については次回に書きましょか。

開運はんこの「誤解」

使ってナンボの「はんこ」やのに 持つだけで開運になるって…
 今の「開運はんこ」って、要は使い方が間違ってると思うんですわ。

 お守りとの違いで言うた様に、はんこは実用品。契約書とかに捺印して、初めて意味があるもんです。

 ってなわけで、はんこを『使う』ことによって開運に繋がる、っていう考え方なら、僕はアリやと思うんです。

 実際、開運はんこでは「アタリ(正面の目印)はつけない」という考えがあります。これは正面の印をつけて捺しやすくしてしまうと安易な捺印に繋がるので、自分でちゃんと見て慎重に捺印しましょう、っていう事らしいですわ。

 こんな感じで、捺印と言う『行為』と開運を結びつける事で、はんこを使うことの重要性・次にはんこを使うまでに大事にしまう事の大切さを伝えていけば、使う人もはんこを無くさなくなるし、売り手もはんこの価値が上がってwin-winだと思うんですわ。

 ただ、現在は「はんこで開運」ってのが一人歩きしてしまい、あたかも「買って手に入れれば開運」であるかのような扱われ方になっとる。売り手の方も「高く売れたらいいから」と思ってるのか、是正しようとも思わん。

 そらあかんわ

 そんなわけで、はんこで開運って考え方は慎重にして欲しいとおもっとります。

なんで「はんこ」で「開運」やねん

はんこが必要になる時って…
 昨日、僕は「はんこは実用品なのに開運と関連してるせいで変な事になってる」って感じの内容を書きました。

 ほな、そもそも「なんで「はんこで開運」なのか?」って事について書こうとしましょうか。

 はんこの「開運商法」「開運詐欺」とかも良く聞きますよね。
 でも、それと同時に開運のはんこって、結構需要があるのも事実。

 さて、そこで、画像にある「はんこが必要になるとき」ですわ。

 はんこが必要となるときって「銀行口座の開設」「普通車の購入」「不動産の購入」ですな。
 また、そのほかに「進学」「就職」「結婚」の機会にはんこをお求めになる方もいはります。

 そ。はんこは、人生の転機のなる時に手に入れることが多いんですわ

 僕が想像するに、「開運はんこ」を最初に考案した人は、はんこが人生の転機で重要な時に使うにもかかわらず、その使うときにしか重宝されない(あるいはそのせいで価値が下がっている)事に対し、何とかしたいと考えたんやないかな…と思っています。

 その結果、開運のはんこが現在も需要があるということを考えると、最初に開運はんこを考えた人の思惑は成功してるって事で、正直「すごいな」と思うんですわ。

 ただ、僕は現在の「開運はんこ」については否定的です。
 その理由は明日書きますわ。

「開運はんこ」と「開運お守り」の決定的な違い

同じ「開運」でも、お守りとはんこじゃえらい違いやわ
開運はんこを買った人が陥る不幸第一位は「はんこが必要な時に見つからない」って内容を見て、「そんなん当たり前やん!」と思った方!

なんで「当たり前」なんやろか

例えば、大事に持っていたお守りが無くなったら、それって「不幸」ですかね

確かに大事にしてたら紛失は悲しいかも知れませんが、「不幸」とはちょっと違うと思いませんか?

「はんこ」と「お守り」 何が違うか?

  • はんこは「持ち歩かない」 。お守りは「持ち歩く」
  • はんこは「必要な時に使う」。お守りは持つことはあっても「使わない」

これで分かりました? はんこはお守りと違って「実用品」なんです
実際に使うものだから、使わないときに持ち歩いて紛失するわけにはいかない。だからしまっておく。
でも、いざと言うときには必ず必要になるから、その時はすぐに出せるようにしておかないといけない。

その様な物でありながら、縁起物として取り扱ってしまうために、調べるまでも無い「よくある不幸」が生じる事になったんです。

ほな、「はんこに開運」ってのは、そもそも間違いなのか? 良くないことなのか?
これについての僕の見解は、明日お話します。

開運はんこを買った人が体験する「不幸」 ワーストワン

「調べたんか?」ってお思いかもしれませんが 調べるまでも無いんですまず最初にお詫びです。
「不幸」って言う言葉は、他人を傷つけかねない表現だと承知で使っています。不快に思われた方はすんません。

ただ、「開運」を求めている人にとって、その逆とも言える体験が起こりがちだという事を伝えるために、あえて「不幸」と表現さしてもらいました。

で、そのワーストワンですが、上の絵にもある通り、調べるまでもありません。

はんこの紛失

いざ、はんこが必要となったときに見つからない」です

せっかく開運のはんこを買ったのに、一度使って(あるいは一度も使わずに)どこかにしまい、何年か後に必要となったときに探しても見つからず、散々探し回る。最悪、再びはんこを作りに行かなければならない…ってやつです。

「そんなん当たり前やん!」「開運でなくてもそれは一緒やん!」って思いました?
でも、これって結構重要な事やと思ってるんです。

なんで「当たり前」なのか?
「開運はんこでなくても一緒」なら、なぜ「開運はんこ」なのか?

これについて、明日以降に書いていきます。

こんな「開運はんこ」を求めてる人は幸せになれない

開運はんこが欲しいと とやかくうるさい注文をされたおばさん数年前にあった実話なんですけど…。

おばさんがやってきて、「開運のはんこが欲しい」「下の名前のはんこで」「接点(はんこの縁と文字が接触する数)は○○個で」と言う依頼があったんです。

で、まあこの方が妥協しない方で…
「ご指定の接点数が多いので、フルネームにされると作りやすいんですが…」と言っても「ダメ!」
「縁起の良い接点数はほかにあると思いますが…」と言っても「ダメ!」

仕舞いには、
「私、最近運勢が悪いの。今まで仲良かった人にも敬遠されるようになったみたいだし… だから絶対運勢を変えないといけないのよ!」と力説するほどに。

当時、対応したのは店主ですが…
横で聞いていた僕は、あと少しで言ってしまうところでしたわ。

お客さん、そのワガママっぷりが自分の運勢を下げてしもうてるんとちゃいますか?

って。

結局、その方は注文されずに帰られました。
でも、正直それでよかったと思います。
「妥協しない」事は大事かもしれませんが、度を過ぎると単なる「ワガママ」になってまいますからね。
こういった方がはんこを手に入れられても、あまりいい方向にはならないと思うし、お客さんにとってもはんこにとっても不幸ですからね。