Category Archives: 開運はんこ

開運はんこの意外なメリット

縁起のいい「印相」ってはんこは、縁が欠けにくい場所が多いって言うメリットがありますねん
 はんこ屋である当店が、縁起がいい「印相」っていうのを、邪道と知りつつも薦めてるのは「縁起」とは別の理由が大きかったりします

 ひとつは上の画像にあるとおり、縁と文字が接する部分は欠けにくくなると言うこと。縁と文字が接する場所が多いとそれだけかけにくい部分が増えますんでね。
 これは実はかなりデカイと思ってます。そのうち書くと思いますが、職人が彫ったはんこは縁が欠けにくいんです。でも、それでもやっぱり落としたときの衝撃が悪かったら欠けてしまいますわ。

 ほやけど、縁が文字の線と繋がってたら、その部分は間違いなく頑丈で欠けにくい。ほしたらそのふちと線が繋がってる部分が多いほうが、欠けにくくなる。すなわち持つ人にとってええはんこって事ですわね。

 あとは、一般論として印相の文字の方がデザインに手作業となる部分が多いからってのもあります。先ほど言った「文字の線と縁が繋がってる」のは、デザイン上、手作業で行うか無いんです。例えコンピューターでデザインするとしても、全自動では出来ず、手作業で一つずつ繋げていかないとアカンのです。

 ということは、機械による自動化が多くを占める世の中にあって、ある程度手作業が入るこのやり方の方がいいかも知れんって事ですわ。

 まあでも本来は、手作業云々より、自分の「証」となる印影がどんだけしっかりデザインできてるか、やと思います。

 その辺についてはまたいずれ、お話したいと思います。
 明日以降は、すんませんが開運とはちょっと離れた話をしますんで。

はんこで「験担ぎ(げんかつぎ)」ってアリ? ナシ?

こいつ「開運はんこ」に否定的やな… とお思いかもしれませんが、「験担ぎ(げんかつぎ)」はやってます 散々、開運はんこを「やりすぎ」「邪道」と言うといて何ですが…
「験担ぎ」するのまで「ナシ」ってのはどうか…と思うてたりしてます。

 この辺は正直、葛藤もありますね。

 確かに「開運商法」がまかり通ってる中、そういうのは慎むのが理想かもしれません。
 ただ、さすがに「開運」より軽めの験担ぎまで許さないって言うのは、お客様の需要に背きすぎかという気がするんですよね。

 当店では例えば「大安吉日に納品して欲しい」などの「験担ぎ」はお受けしてます。
 開運で文字をあれこれ変えろって言う要望は、文字そのものの意味や姿をまるっきり変えてしまって逆効果になりかねないですが、納品日の指定は商品の出来に左右する事は無いんで、デメリットは無いし、これは要望にこたえたいと思っています。

 それと、縁起重視の「印相」には別のメリットもありんです。
 それについては次回書きますわ。

開運はんこで「鑑定してくれ」ってのは超失礼なんよ

開運の鑑定士の人に「はんこはこうやって作れ」って言われても… 正直「あんた誰?」って感じになるんです 良くお客さんに聞かれるるのが「開運の鑑定をしてくれますか?」っての。
 当店はこう聞かれると「当店ならではの手法で印影をおつくりしますんで、鑑定士への依頼は行いません」って答えてます。

 でも、当ブログを読んでいただいている人は「え?」って思うかもしれませんね。
 「前回、プロはお客さんの要望に応えるって言うたやん! それと矛盾するやろ!」って

 でも、矛盾しませんねん。
 だって、「鑑定しろ」っていうのはすなわち、自分でもお客さんでもない、第三者である鑑定士の言うことに従って彫れって事ですから。
 
 お客さん自身が細かく接点の数とかを指定する場合は、極力従いますよ。(もちろん、字がグチャグチャになってまうほどの要望はお断りしてますが)
 でも「鑑定しろ」って言うことは、自分で調べることもせず、なおかつ彫る職人にすべてを任せず、その癖「開運の保障」を求めてるわけです。

 レストランに行って、シェフに「料理評論家の○○が、△△の料理には□□の食材が良いって言ってたから、それで作って」って言いますか??
 はんこで「鑑定しろ」ってのは、それと全く同じで、失礼かつ場違いで恥ずかしい要求だと言う事を理解してくださいな。

 いかに失礼かつ自分勝手なことか、ってわかりますよね?
 そんなことがまかり通るのが、人生にとって逆効果とさえ思うんですわ。

「開運はんこ」を彫る人は二種類に分かれる

開運はんこを彫る職人 どっち?
これは単刀直入に書きましょう
高く売れるから彫る」と言う人と「プロとしてお客様の要望に応えるために彫る」と言う人です。
当店も基本的には後者の理由で、縁起の良いとされる「印相」って言うはんこを取り扱っております。

前回、「縁起のいい『印相』は邪道」やと書きましたが、邪道の癖に彫る職人が多いのは、良心的な職人が後者の発想を持っているためなんです。

ちなみに、「本当にお客様の幸せになって欲しいから彫る」と言う人は… 消費者としてはいて欲しいでしょうが、ほとんどいないでしょう。

ただ、「高く売るからには、本当にお客様の幸せにつながって欲しい」というはんこ屋は、いるかも知れませんね。

そんなわけで、開運の「印相」ってはんこは邪道やけど、その「印相を彫る人」まで邪道かって言うと、そんな訳ではないんで、その点気をつけてくださいね。

開運はんこの文字って、実は『邪道』なんよ

縁起がエエから「田」に線を足すって、普通の字ではやらんよね
 何で邪道なのか? それは「ルール」が存在せんへんからです。

 文字にはちゃんとした「ルール」があります。小学校で習った文字の書き方のようなもんです(これは実はもっと深い話があるのですが、それについては後日書きます)。
 はんこで良く使われる「篆書(てんしょ)」と言う文字には、はっきりとしたルールがあるんです。 しかし、縁起がよいとされる「印相」と言う自体は、「字と字をつなげる」「中心から外に広がるように」というのに従って、篆書のルールをぶち壊したもんなんです。

 例えば上の写真の「野田」のはんこ。「田」の上部の左右から、縁に向かって線が延びてますわね。「腕」と言うか「触角」みたいな感じで。
 こんな「田」と言う字はどの辞書にも載っていません。「その方が縁起がええから」と勝手に線をつけ足しとるんです。

 はんこにも展覧会やグランプリと言うのがありますが、その中では「印相」ってのは評価されません。何故なら上記の理由で「ルールがないから評価しようがない」ためなんですわ。

 昨今は、はんこは「開運」が主流で、「どうせなら開運の方がいい」と言う風潮がありますが、厳密には開運であることのデメリットもあると言うのは覚えといて欲しいと思います。

 しかしその印相、「邪道」であれば彫る人が少ないので広がらないはず…なのですが、実際は多くの職人が彫刻しています。
 この理由については次回に書きましょか。

開運はんこの「誤解」

使ってナンボの「はんこ」やのに 持つだけで開運になるって…
 今の「開運はんこ」って、要は使い方が間違ってると思うんですわ。

 お守りとの違いで言うた様に、はんこは実用品。契約書とかに捺印して、初めて意味があるもんです。

 ってなわけで、はんこを『使う』ことによって開運に繋がる、っていう考え方なら、僕はアリやと思うんです。

 実際、開運はんこでは「アタリ(正面の目印)はつけない」という考えがあります。これは正面の印をつけて捺しやすくしてしまうと安易な捺印に繋がるので、自分でちゃんと見て慎重に捺印しましょう、っていう事らしいですわ。

 こんな感じで、捺印と言う『行為』と開運を結びつける事で、はんこを使うことの重要性・次にはんこを使うまでに大事にしまう事の大切さを伝えていけば、使う人もはんこを無くさなくなるし、売り手もはんこの価値が上がってwin-winだと思うんですわ。

 ただ、現在は「はんこで開運」ってのが一人歩きしてしまい、あたかも「買って手に入れれば開運」であるかのような扱われ方になっとる。売り手の方も「高く売れたらいいから」と思ってるのか、是正しようとも思わん。

 そらあかんわ

 そんなわけで、はんこで開運って考え方は慎重にして欲しいとおもっとります。

「開運はんこ」と「開運お守り」の決定的な違い

同じ「開運」でも、お守りとはんこじゃえらい違いやわ
開運はんこを買った人が陥る不幸第一位は「はんこが必要な時に見つからない」って内容を見て、「そんなん当たり前やん!」と思った方!

なんで「当たり前」なんやろか

例えば、大事に持っていたお守りが無くなったら、それって「不幸」ですかね

確かに大事にしてたら紛失は悲しいかも知れませんが、「不幸」とはちょっと違うと思いませんか?

「はんこ」と「お守り」 何が違うか?

  • はんこは「持ち歩かない」 。お守りは「持ち歩く」
  • はんこは「必要な時に使う」。お守りは持つことはあっても「使わない」

これで分かりました? はんこはお守りと違って「実用品」なんです
実際に使うものだから、使わないときに持ち歩いて紛失するわけにはいかない。だからしまっておく。
でも、いざと言うときには必ず必要になるから、その時はすぐに出せるようにしておかないといけない。

その様な物でありながら、縁起物として取り扱ってしまうために、調べるまでも無い「よくある不幸」が生じる事になったんです。

ほな、「はんこに開運」ってのは、そもそも間違いなのか? 良くないことなのか?
これについての僕の見解は、明日お話します。

開運はんこを買った人が体験する「不幸」 ワーストワン

「調べたんか?」ってお思いかもしれませんが 調べるまでも無いんですまず最初にお詫びです。
「不幸」って言う言葉は、他人を傷つけかねない表現だと承知で使っています。不快に思われた方はすんません。

ただ、「開運」を求めている人にとって、その逆とも言える体験が起こりがちだという事を伝えるために、あえて「不幸」と表現さしてもらいました。

で、そのワーストワンですが、上の絵にもある通り、調べるまでもありません。

はんこの紛失

いざ、はんこが必要となったときに見つからない」です

せっかく開運のはんこを買ったのに、一度使って(あるいは一度も使わずに)どこかにしまい、何年か後に必要となったときに探しても見つからず、散々探し回る。最悪、再びはんこを作りに行かなければならない…ってやつです。

「そんなん当たり前やん!」「開運でなくてもそれは一緒やん!」って思いました?
でも、これって結構重要な事やと思ってるんです。

なんで「当たり前」なのか?
「開運はんこでなくても一緒」なら、なぜ「開運はんこ」なのか?

これについて、明日以降に書いていきます。

こんな「開運はんこ」を求めてる人は幸せになれない

開運はんこが欲しいと とやかくうるさい注文をされたおばさん数年前にあった実話なんですけど…。

おばさんがやってきて、「開運のはんこが欲しい」「下の名前のはんこで」「接点(はんこの縁と文字が接触する数)は○○個で」と言う依頼があったんです。

で、まあこの方が妥協しない方で…
「ご指定の接点数が多いので、フルネームにされると作りやすいんですが…」と言っても「ダメ!」
「縁起の良い接点数はほかにあると思いますが…」と言っても「ダメ!」

仕舞いには、
「私、最近運勢が悪いの。今まで仲良かった人にも敬遠されるようになったみたいだし… だから絶対運勢を変えないといけないのよ!」と力説するほどに。

当時、対応したのは店主ですが…
横で聞いていた僕は、あと少しで言ってしまうところでしたわ。

お客さん、そのワガママっぷりが自分の運勢を下げてしもうてるんとちゃいますか?

って。

結局、その方は注文されずに帰られました。
でも、正直それでよかったと思います。
「妥協しない」事は大事かもしれませんが、度を過ぎると単なる「ワガママ」になってまいますからね。
こういった方がはんこを手に入れられても、あまりいい方向にはならないと思うし、お客さんにとってもはんこにとっても不幸ですからね。